小川榮太郎の書斎から 親友Iへの手紙(福田恆存、人間性を取り戻す為に、シベリウス、マーラー……)
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親友Iへの手紙(福田恆存、人間性を取り戻す為に、シベリウス、マーラー……)


I兄へ
 やあ、その後元気か。今日のこの手紙はそのままブログに上げるよ。例の榮チャンネルだが、収録する時間が都合つかなくて今日は原稿で許してもらふつもりなのだが、それを君宛の手紙で代用しちまふ算段なのさ。呵呵。
僕は例の大東亜戦争の本で悲鳴を上げてゐる上、突然、福田恆存論を――短いものだが頼まれてね。なんでも昔よくあつた文藝読本みたいな奴、シェイクスピアやトルストイや、小林秀雄やランボーや中原中也や色々あつたよな。あつたよなといふか、今でも僕はお世話になつてるがね。あれを最近風の味付けのヴァージョンでやるといふ事なのだらうか、その一環で福田先生もやると、ね。
 他に仕事がなくてもしんどいが、あれこれ雑事がある上に、朝から晩まで戦争の本で頭が一杯だからね。
とにかく、戦争の事と福田恆存のこと。……その上風邪を引いちまつてね。しかしをかしなもので、ずつとこの所、体調がひどかつたのが、風邪で寝たら一日で何だか楽になつたよ。体の仕組みといふのは不思議なものだね。
 それはいいのだが、福田先生の事はね、要は政治論か何かを頼んでこられたけど、これはあつさり断つて、演劇作品について書くつもりだよと言つておいた。まだ戦争論で忙しくて、起稿もしてないのだが……。福田の演劇作品については、僕は君も記憶にあるだらうが昔から執着がある。福田先生は、評論から国語問題から保守活動からシェイクスピアの異次元の水準の翻訳から、芝居小屋の経営までしながら、あの水準の芝居を10作も書いてゐる。文学史や藝術史として何故きちんと取り上げないのだらうとずつと考へてきた。ハムレットそのものから、初期の小説『ホレイショー日記』、評論『人間この劇的なるもの』、『有間皇子』と繋ぐと面白いのだが、到底、そこまではできない。しかし、『有間皇子』と元ネタのハムレットないしシェイクスピアといふ問題は面白いんだよ、それと勿論、その前に、シェイクスピアのドラマツルギーの本質が科白そのもののデュナーミクにあるといふ事の発見だね。
 まあ、それ以上書くとなんだから――何しろこのままブログに上げますからな――やめとくけど。
 君の榮チャンネルの感想有難う。音楽の事を色々感想聞きたかつたが、白井聡氏についてのを見てくれたんだつて?
まあ、君のいふ通り集団狂気で日本のどこかがすつかり狂つてゐるといふ事だが、何といふかね、昭和20年代から50年代までの戦後左翼には二つあつてね。本物の左翼の確信犯的な日本革命や日本弱体や皇室消失を目論んでゐた連中と、まあ、感傷的な戦後平和論者だよね。最近、スパイ研究が盛んになつて、東大総長クラスの大物学者や著名戦後派学者の中に、随分外国のエージェントやそれに類するのがゐたやうですが、さういふのは前者だね。しかし多くは、後者の感傷的平和論者だ。何といふかね。それはそれで心情的に理解できるんだよ。敗戦の痛手といふけれど、それは本当に痛哭の極み、そして大東亜共栄圏といふ掛け声が負けてみれば何と空疎だつたか、戦争への総動員で国民みんなが右へ倣え、左へ倣へ。積極的に同じ振舞ひをし、異見は遠慮してゐる内に、まあ、軍人が頭ごなしにどなりつけて国をあんなことにした。国際政治といふ舞台での力学とは別に国内の風景は確かにこんなものでした。それは自虐史観でも何でもない。日本人といふのはすぐさうなるんだよ。今でもさうだ。戦前の軍国日本と戦後の平和日本、平成の人権日本、全部掛け声全体主義さ。空気さ。空気に素直に従へる人や熱狂できる人には居心地いいが、さうでない人間にはたまらなく嫌なところがあります、日本て国は。さういや、山本七平の空気の研究といふのがありましたな。まあ正論だし慧眼だけど、僕は空気なんぞ研究する気になれませんや。
で、最近の白井聡氏、いやその前のポストモダンからだね。戦後平和主義と全く違ふエートスなんだよ。僕らが大学の時だね、僕が本当に虫唾が走るやうに嫌ひだつたニューアカの連中。あそこでエートスとして、何はともあれ人間的な心情の基礎を持つてゐた「戦後」は間違ひなく、左翼においても終はつてゐるのさ。ずつと卑しい何かがその後を簒奪したんだよ。
 ニューアカから後の左翼と、漫画家の何とかが出てきてからの右翼と、似てますよ、人間性。
 僕は嫌ひだね、大嫌ひだ。人間として。ガキの時から明治人とは気があつたが、昭和生れは嫌ひだつた。戦後生れなんてそれだけで虫唾が走るし、まして高度成長から後の人間ときた日には、そんな代物、政治思想の左右を超えて僕にはとにかく嫌なんだ、何といふか人間関係において「横柄」なんだよ。これは君が昔つかつた言葉だつたかなそれとも小林秀雄だつたか、小林を君が引用した事があつて覚えてゐるのだつたかな。
 まあいいや。嫌な話を書いても疲れるだけだからね。
 昨日は永井龍男を読んでほつとしたよ。永井龍男の小説に出て来るやうな日本人を守る事。それ以上に日本人がやらねばならない事なんかあるかね。まあ、色々な言ひ方ができるけど、鬼平犯科帳に出て来る日本人を守る事でも、英霊の遺書を書いたあの若者たちのやうな日本人を守る事でも、要するに同じだ、それが分る人だけが僕の友だ。後の人とは口を利くのも本当は嫌だね。
 最後に音楽。シベリウスを以前全然聴く気がしなかつたのに最近好きになつたのは、年をとつたのだね。ああいふ鯛の刺身みたいな音楽がいいなんていいだしたら、もう先が長くない気もするが、でも、5番、6番、7番、いいなあ。まだそれ以上感想は言へない。素朴で子供みたいな感想だけ。
 マーラーの事は若い頃は5番6番9番が好きだつた。好きといつても、結局、LP時代には父の持つてゐたバーンスタインの全集以外にはテンシュテットの第一、シノーポリの第5第6、バルビローリ、ジュリーニの第9なんかを買つた位しか記憶にないな。要はその程度だつたんだね。CDになつても、バッハからヴァグナーまでに比べて、全く手薄だしなあ。殆ど聞かないできたのが正直なところでせう。これは言へる。マーラーは明らかに大して好きではないし、大して認めてないんだ、何といふかね、音楽に求めるものが違ふんだ。
 ただ、段々5番6番が嫌になつたぜ、俺は逆に。9番は最高傑作でこれはもう文句なし。で、それ以外だと、2番3番4番が好きになつたね。まあ2番については好きとは言へないが、何かの時にクレンペラーを聴いて、これはやはりこの指揮者、偉いですからね。音楽もいはばその後の「完璧でゴージャスでオケの抜群に上手い」何十枚の「名盤」よりも、精神の厳しい品格で断然格があつたね、さうするとマーラーを聴いても人間の音楽、人間としての意味を感じられるんだよ。4番もクレンペラーはいいね。音楽もこれは本当に美しい。ここまで来れば、さうだな、最近評論集で使った言葉で言へば天籟だな。冒頭の鈴で演奏の価値が決まると誰かが言つてゐて、客観的には無茶な話だが、これはほんたうだと思ふ、さういふ感覚なしにクラシック音楽聞いても始まらないと思ふよ、特に日本人はどこまでも和声のロジックで音楽を聴くのは無理だと思ふ、鈴虫マツムシの音を聴く延長で音楽を聴くんだからね。
 疲れた、今日はこの位にしよう。 小川榮太郎
 

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